0101
書簡
ふたつの不可能
この上なく高貴な夫人、わが夫人よ。返事をこれほど長く延ばしてきたのは、わたしの意志ではない。乏しい健康と、もっともな恐れのためである。筆を起こした最初の一歩で、この拙い筆がふたつの不可能につまずいたのだから、何の不思議があろう。第一の不可能は、わたしにとってはこちらの方が厳しいのだが、あなたの、この上なく学識に満ち、思慮深く、聖性と愛情にあふれた手紙に、どう答えればよいかを知ることである。学院の天使と呼ばれる聖トマスは、師アルベルトゥス・マグヌスの前で沈黙していたわけを問われて、アルベルトゥスにふさわしいことを何ひとつ言えないから黙っていたのだと答えた。それならば、わたしが黙るのはなおさら道理である。ただし聖人のような謙遜からではない。あなたにふさわしいことを何も知らないというのが、わたしの場合はただの事実なのだ。第二の不可能は、わたしの書き散らしを印刷に付すという、期待もしなかった過分の恩顧に、どう感謝すればよいかを知ることである。それはあまりに度を越えた恵みであって、もっとも野心的な希望も、もっとも奇想に富む願望も見逃したであろうし、理性が立てるだけの想定としてさえ、わたしの考えには収まりえなかった。要するにその大きさは、言葉の狭さに縮められないばかりか、感謝の能力そのものを超えている。大きいがゆえに、また思いがけなかったがゆえに。クインティリアヌスが言ったとおりである。希望の栄光はより小さく、恩恵の栄光はより大きく、そしてそれらは滅ぶ。恩恵を受けた者は、言葉を失うのである。
身に余る恩顧
奇跡によって実り豊かになるために、幸いにも不妊であった洗礼者ヨハネの母は、御言葉の母というあまりに身に過ぎた訪問を自分の家に受けたとき、理解が立ちすくみ、言葉が止まった。それで感謝の代わりに、疑いと問いがほとばしり出た。「このようなことが、どうしてわたしに」。イスラエルの王に選ばれ、油を注がれたのを知ったサウルも同じであった。「わたしはイスラエルのもっとも小さな部族ベニヤミンの者、その氏族の中でももっとも卑しい家の出ではないか。それなのに、なぜそのような言葉をわたしにかけられるのか」。わたしも同じように言おう。尊い夫人よ、どこから、どこからわたしにこれほどの恩顧が来るのか。わたしは一介の貧しい修道女、世界でもっとも小さく、あなたの関心を占めるにもっとも値しない被造物にすぎないではないか。それなのに、なぜそのような言葉をわたしにかけられたのか。このようなことが、どうしてわたしに。
恵みによる戒め
第一の不可能には、あなたの目に値するものを何も持たないと答えるほかない。第二の不可能には、感謝の代わりに驚嘆をもって、あなたに負うもののほんの一端にさえ感謝する力がないと言うほかない。夫人よ、これは装った謙遜ではなく、魂のすべてから出た偽りのない真実である。あなたがその筆で「アテナにふさわしい手紙」と名づけたあの書簡が、印刷されてわたしの手に届いたとき、わたしは、これはわたしには容易なことではないのだが、当惑の涙をほとばしらせた。あなたの恩顧は、神にろくに応えられずにいるわたしを神が責めておられる、その戒めにほかならないと思われたからである。神はほかの者を罰によって正すが、わたしのことは恵みの力で立ち返らせようとなさる。それが特別の恩顧であり、はかり知れない善意から受けた無数の恩顧と同じく、わたしがその負い目を負っていることは分かっている。しかし同時に、わたしを恥じ入らせ、うろたえさせる特別の仕方でもある。わたし自身が、自分を知ることによって、自分に判決を下し、おのれの忘恩を断罪する裁判官になる。これほど巧みな罰し方はない。だからひとりでこのことを考えるとき、わたしはよく言う。主よ、あなたは讃えられよ。あなたはわたしを裁くことをほかの被造物の手に委ねず、わたし自身の手にさえ置かず、ご自身の手に取っておかれた。そうしてわたしを、わたし自身から、わたしが自分に下すはずの判決から救い出された。自分を知る力に迫られれば、その判決は断罪のほかにありえなかった。あなたはそれをご自身の憐れみに取っておかれた。わたしが自分を愛しうる以上に、あなたがわたしを愛しておられるからである。
沈黙への短い札
わが夫人よ、真実の力に引きさらわれたこの脱線を許してほしい。すべてを告白するなら、これもまた、答える難しさから逃れるための逃げ道探しである。わたしはほとんど、沈黙に委ねてしまおうと決めかけていた。しかし沈黙は否定のものであり、説明しないという強調によって多くを説明するとはいえ、沈黙に何を言わせたいのかが分かるように、短い札を付けておく必要がある。さもなければ沈黙は何も言わないだろう。何も言わないことこそ、沈黙の本来の務めなのだから。選びの聖なる器と呼ばれた使徒パウロは第三の天に引き上げられ、神の奥義を見て、こう言う。「人には語ることが許されない秘義を聞いた」。彼は見たものを語らない。しかし語れないということは語る。つまり、語りえないことについては、せめて語りえないとだけでも言っておかねばならない。そうして初めて、黙っているのは語るべきことがないからではなく、語るべきことの多さが言葉に収まらないからだと分かるのである。聖ヨハネは、わたしたちの贖い主が行った奇しい業をすべて書き記すなら、世界中にその書物を収めきれないだろうと言う。ヴィエイラはこの箇所について、福音記者はこの一句だけで、書いたすべてよりも多くを語ったと言う。ルシタニアの不死鳥はまことによく言う。もっとも、よく言えていないときでさえ、よく言わないことがあろうか。ここで聖ヨハネは、語らずに残したすべてを語り、言い表さずに残したものを言い表したのだから。そこでわたしも、夫人よ、何と答えればよいか分からないとだけ答え、感謝する力がないと言うことで感謝し、沈黙に委ねるものの短い札として、ただこう言おう。恩顧を受けた者の信頼と、栄誉を与えられた者の後ろ盾があればこそ、あなたの偉大さに向かって口を開く勇気が持てるのだと。それが愚かさであるなら許してほしい。愚かさは幸運の飾りであり、そのうちにわたしはあなたの寛大さへいっそうの素材を差し出し、あなたはわたしの感謝にいっそうの形を与えてくださるだろう。
聖書への畏れ
モーセは口が重いために、自分はファラオと語るに値しないと思っていた。それがのちに、神の恩顧を深く受けた身だと知ると、大胆さが吹き込まれて、神ご自身と語るばかりか、不可能なことまで願い出るようになる。「あなたの御顔をわたしに見せてください」。わたしも同じである、夫人よ。あなたがこれほど目をかけてくださるのを見ると、初めに挙げたふたつの不可能も、もう不可能とは思えない。わたしに知らせもせずにあの手紙を印刷させた方、題を与えた方、費用を担った方、それ自体としても作者としても何ら値しないものをこれほど栄えあるものにしてくださった方が、この先何をしてくださらないだろう。何を許してくださらないだろう。なさらずに残すこと、許さずに残すことなど、あるだろうか。だから、あなたの恩顧という通行証をもって語り、あなたの寛大さという保証の下にあり、さらには、もうひとりのアハシュエロス王のように、慈しみの金の笏の先に口づけさせて、あなたの尊い御前で語り申し立てることを恵み深く許すしるしとしてくださった、という前提に立って申し上げる。学びを聖なる書物に向けよという、あなたのこの上なく聖なる訓戒を、わたしは魂に受け取る。それは助言の装いで届いたが、わたしにとっては戒律の実質を持つだろう。小さくない慰めもある。あなたの牧者としての示唆に先立って、わたしの従順はすでにそれを先取りしていたように見えるからである。それは、あの手紙そのものの主題と論証から推し量っていただける。あなたのこの上なく賢明な忠告があの手紙に向けられたものでないことは、よく分かっている。向けられているのは、あなたがたくさんご覧になったであろう、わたしの書いた人間の事柄についての文章である。だからここまで述べたのは、わたしのほかの文章から、まったく道理にかなったことだが、あなたが推し量られたであろう精進の不足について、あの手紙をもって申し開きをしたにすぎない。さらに立ち入って告白するなら、あなたの前で当然あるべき率直さと、わたしにはいつも自然で習いとなっている真実と明晰さをもって言うのだが、聖なる主題について多くを書かずにきたのは、好まないからでも、精進が足りないからでもない。あの聖なる文字に対する恐れと崇敬が、あり余っているからである。それを理解するには自分があまりに無力で、それを扱うにはあまりに値しないことを、わたしは知っている。わたしのような罪人への主の威嚇と禁止の言葉が、小さくない恐怖とともに、いつも耳に鳴り響いている。「なぜおまえがわたしの義を語り、わたしの契約を口にのぼせるのか」。この問いに加えて、学識ある男たちでさえ、三十歳を過ぎるまでは雅歌を、さらには創世記さえ読むことを禁じられていたのを知っていたからでもある。創世記はその晦渋さのため、雅歌は、あの婚礼歌の甘美さにかこつけて、思慮の足りない若さがその意味を肉の情へとねじ曲げないためである。わたしの偉大な父である聖ヒエロニムスもこれを裏づけて、同じ理由から、雅歌は学びの最後に置くよう命じている。「雅歌は最後に学べば危険がない。初めに読めば、肉の言葉の下にある霊的な婚礼の歌であることを解さずに、傷を負うからである」。セネカも言う。「年若いうちは、信は明らかでない」。それならどうしてわたしが、性も、年齢も、そして何より行状がそれを拒んでいるのに、この値しない手にそれを取る勇気を持てただろう。だから告白する。この恐れが、幾度となくわたしの手から筆を取り上げ、主題を、それが芽吹こうとしていた当の知性の中へと退かせたのである。この不都合は、世俗の主題にはなかった。芸術に対する異端を罰するのは聖務審問所ではなく、気のきいた人々の笑いと、批評家の非難だからである。そしてこの非難は、正当であれ不当であれ、恐れるには及ばない。聖体拝領もミサに与ることも妨げないのだから、わたしにはほとんど、いや少しも気にならない。わたしを中傷する人々自身の裁定によっても、わたしには知る義務もなければ、正しく当てる適性もない。それなら、間違えても、罪でもなければ不名誉でもない。罪でないのは義務がないからであり、不名誉でないのは正しく当てる可能性がないからである。不可能なことは、誰にも強いられない。実のところ、わたしは強いられ、無理に迫られて、ただ人を喜ばせるためにしか書いたことがない。喜びがないどころか、はっきりとした嫌悪とともに書いてきた。書く者の義務が求めるだけの学識と才知の蓄えが自分にあるとは、一度も思ったことがないからである。だから、せがんでくる人々への、ことに聖なる主題のときのいつもの返事はこうである。わたしにそんな知性があるか。そんな学びが、材料が、知識があるか。あるのは浅はかな学殖の切れ端が四つばかり。それは分かる人に任せておいてほしい。わたしは聖務審問所と悶着を起こしたくない。わたしは無知で、聞こえの悪い命題を口にしたり、どこかの箇所の正しい理解をねじ曲げたりしないかと震えている。わたしは書くために学ぶのではない。まして教えるためではない。それはわたしには度はずれた傲慢であろう。ただ、学べば無知が少しは減るかどうかを見るためである。そう答えているし、そう思っている。
抑えがたい傾き
書くことは、一度としてわたし自身の判断から出たことではなく、よそからの力によるものだった。その人たちには、偽りなくこう言えるだろう。「あなたがたがわたしに強いたのだ」。ただ、否定しない真実がひとつある。ひとつには誰の目にも明らかなことだから。もうひとつには、たとえ自分に不利でも、神が真実への大きな愛をわたしに恵んでくださったからである。すなわち、理性の最初の光がわたしに差して以来、文字への傾きはあまりに激しく強かったので、他人の叱責も、これは数多く受けた、自分自身の反省も、これも少なからず重ねた、神がわたしのうちに置かれたこの生来の衝動を追うのをやめさせるには足りなかった。なぜか、何のためか、それは神がご存じである。わたしが神に、わたしの知性の光を消してください、御掟を守るに足るだけを残してくださいと願ってきたことも、ご存じである。それ以上は、ある人々に言わせれば、女には余計なものであり、害になるとまで言う人さえいるのだから。それがかなわないと知って、わたしが自分の名もろとも知性を葬り、それを与えてくださった方だけにそれを捧げようとしたことも、神はご存じである。わたしを修道生活に入らせた動機は、それ以外になかった。学びに向かうわたしの意図が求めていた気ままさと静けさには、共同体の務めと人づきあいがなじまないにもかかわらず、である。そして修道院に入ってからも、自分の名を隠そうとしてわたしが何を試みたか、そしてそれを許さず、それは誘惑だと言った方がいたことは、主がご存じであり、世ではただひとり、知るべきであった方だけが知っている。誘惑だったのかもしれない。わが夫人よ、あなたに負うもののいくらかでも払えるとしたら、これをお話しすることでしか払えないと思う。このことは、出るべき相手のほかには、わたしの口から出たことがないのだから。心の扉を両開きに開け放ち、もっとも固く封じた秘密までお見せしたのは、あなたの尊い人格と過分の恩顧にわたしが負うものに、この信頼が恥じないことを知っていただきたいからである。
三歳で文字を
わたしの傾きについての物語を続けて、余すところなくお知らせしよう。わたしがまだ三歳にならないころ、母は姉を、アミーガと呼ばれる手習いの師のもとへ読み方を習いに通わせた。慕わしさといたずら心に引かれて、わたしも後をついて行った。姉が稽古を受けているのを見ると、読み方を知りたいという望みに火がついて、わたしは、自分では師をだましおおせたつもりで、母がわたしにも稽古をつけるよう言いつけたと告げた。師は信じなかった。信じられる話ではなかったからである。しかしその子どもらしい機知に応えて、稽古をつけてくれた。わたしは通い続け、師も教え続けた。もう戯れではなかった。経験が師の思い違いを解いたからである。こうしてわたしはごく短いあいだに読めるようになった。母が知ったときには、もう読めていたのである。師はそれを母に隠していた。喜びをまるごと味わわせ、褒美をまとめて受け取るためである。わたしも黙っていた。言いつけもなしにしたことだから、鞭で打たれると思ったのである。わたしに教えてくれたその人はまだ存命で、神が守ってくださるように、このことを証言できる。
知への飢え
思い出すのは、このころ、あの年ごろにはあたりまえの食い意地を持ちながら、チーズを食べるのを我慢していたことである。チーズは頭を鈍くすると聞いたからで、子どもにはあれほど強い食べたい気持ちよりも、知りたい気持ちの方がわたしには強かった。やがて六つか七つになり、もう読み書きができ、女が習う針仕事や手仕事のたぐいもひととおり身につけていたころ、メキシコには大学と学院があって、そこで諸学が学ばれていると聞いた。聞くやいなや、わたしは母を、しつこく執拗な頼みごとで責め立て始めた。男の服に着替えさせて、メキシコにいた親類の家に寄宿させ、大学で学ばせてほしいというのである。母はそうしなかったし、それでまったくよかったのだが、わたしは祖父が持っていたさまざまな本をたくさん読むことで、その望みの憂さを晴らした。罰も叱責も、それを妨げるには足りなかった。だからメキシコに出てきたとき、人々が驚いたのは、才知よりもむしろ、話すことを覚える時間さえろくになかったように見える年齢で持っていた、記憶と知識の方だった。
髪を切る罰
文法を習い始めたが、受けた稽古は二十回に届かなかったと思う。わたしの打ち込みようは激しいものだった。女にとって、ことに花のような若さにあっては、髪という生まれつきの飾りはあれほど大事にされるものなのに、わたしは自分の髪を指四本から六本分ほど切り、もとはどこまであったかを測っておいて、自分に掟を課した。髪がまたそこまで伸びるあいだに、覚えると決めたこれこれのことを知らずにいたら、鈍さの罰としてまた切り落とす、というのである。実際、髪は伸びてもわたしは決めたことを知らずにいた。髪は速く伸び、わたしはゆっくりとしか学ばなかったからである。そして実際に、鈍さの罰として切り落とした。知識にこれほど裸な頭が、髪を着飾っているのは道理に合わないと思われた。知識の方が、ずっと望ましい飾りだったのだから。わたしは修道女になった。この身分には、本質ではなく付随することについて言うのだが、わたしの気性に合わないことが多くあるのを知っていた。それでも、結婚をまったく受けつけないわたしにとって、望んでいた救いの確かさという点では、これが選びうるもっとも釣り合いのとれた、もっともふさわしい道だった。この第一の配慮、つまり何より大事な目的の前に、わたしの気性のこまごまとしたわがままは屈し、首を垂れた。ひとりで暮らしたい、学びの自由を妨げる義務の仕事を持ちたくない、書物の静かな沈黙を乱す共同体のざわめきが欲しくない、というわがままである。これがあって、わたしは決心を少しためらった。しかし学識ある人々が、それは誘惑だと教え諭してくれたので、神の助けによって打ち克ち、いまこうして、ふさわしくないままに身を置いているこの身分に入った。わたしは自分自身から逃げたつもりだった。しかし、哀れなわたし。わたしはわたしを連れてきてしまった。そして最大の敵であるこの傾きも連れてきた。天がこれを贈り物としてくれたのか、罰としてくれたのか、わたしには決めかねる。修道生活の多くの務めで消えるか鈍るかと思えば、火薬のように爆ぜて、「奪われることこそ欲望の因」という言葉が、わたしの身に実証されたのだから。
書物だけを師に
わたしは戻った。いや、言い方が悪い。やめたことなどなかったのだから。続けた、と言おう。務めの余りのどの時間にもわたしには休息であった学びの仕事、読んではまた読み、学んではまた学ぶ仕事を、書物そのものだけを師として続けたのである。師の生きた声も説明もなしに、あの魂のない文字だけを頼りに学ぶことがどれほど骨折りか、見当はつくだろう。その骨折りのすべてを、わたしは文字への愛ゆえに、喜んで耐えた。ああ、これが神への愛のためだったなら。それが正しい道だったのに、どれほどの功徳になっただろう。もっともわたしは、できるかぎりそれを高め、神への奉仕に向けようと努めてはいた。わたしが目指していた的は、神学を学ぶことだったからである。カトリック者でありながら、この世で自然の手立てによって到達できるかぎりの神の奥義を知らずにいるのは、情けない無能に思われた。修道女であって俗人ではないのだから、教会の身分からしても学問を奉じるべきであり、まして聖ヒエロニムスを父とし聖パウラを母とする娘が無学であっては、これほど学識ある両親の血筋を汚すことになる、とも思った。わたしは自分にそう言い聞かせ、道理だと思っていた。もっとも実のところは、そしてこちらの方が確かなのだが、自分の傾きにへつらって拍手を送り、その望みそのものを義務として自分に差し出していたのである。
諸学は神学の階
こうしてわたしは進み続けた。すでに述べたとおり、学びの歩みをいつも聖なる神学という頂へ向けながらである。そこへ至るには、人間の諸学と諸芸の階段を昇ることが欠かせないと思われた。侍女たちの流儀さえ知らない者が、どうして諸学の女王の流儀を解するだろう。論理学なしに、聖書が書かれている総体の方法と個別の方法を、どうして知りえよう。修辞学なしに、その文彩、転義、言い回しを、どうして解しえよう。自然学なしに、供犠に用いられる動物たちの本性にまつわる多くの自然の問い、すでに解き明かされた多くの象徴や、ほかにも数多くあるものを、どうして解しえよう。サウルがダビデの竪琴の音で癒やされたのは、音楽の自然の力であったのか、それとも神がダビデに置こうとされた超自然の力であったのか、どうして分かろう。算術なしに、年や日や月や時の、またダニエルの週のように神秘に満ちた、あれほど多くの計算を、どうして解しえよう。その理解には、数の本性と照応と性質を知ることが必要なものも、ほかにある。幾何学なしに、契約の聖なる櫃と聖なる都エルサレムを、どうして測りえよう。その神秘の寸法は、あらゆる次元で立方体をなし、各部分の釣り合いのとれたあの配分は、驚嘆すべきものである。建築学なしに、ソロモンの大神殿をどうして解しえよう。そこでは神ご自身が配置と設計を与えた工匠であり、賢い王はそれを実行した現場の監督にすぎなかった。そこには神秘のない台座はひとつもなく、象徴のない柱、ほのめかしのない蛇腹、意味のない梁はひとつもなかった。ほかの部分も同じで、ごく細い繰り形ひとつさえ、ただ技芸への奉仕や引き立てのためにあるのではなく、より大きなものを象徴していた。歴史を成り立たせる規則と部門への深い知識なしに、歴史の書をどう解しえよう。あの総括の語り方では、実際には先に起きたことが、語りの中ではしばしば後に置かれるのである。教会法と世俗法の両方への深い知識なしに、律法の書をどう解しえよう。聖書が触れている異邦の歴史の多くの事柄、異教の民の多くの風習、多くの儀式、多くの語り方を、深い学識なしにどう解しえよう。多くの規則と教父たちの読みなしに、預言者たちの晦渋な語り口をどう解しえよう。音楽に深く通じていなければ、多くの箇所にある音楽の比例とその妙を、どう解しえよう。ことに、アブラハムが町々のために神に願ったあの嘆願である。五十人の義人がいたら赦していただけるかと尋ね、この数から四十五へ下った。これは九対十の比で、ミからレへの音程にあたる。そこから四十へ。これは八対九の比で、レからミへの音程にあたる。そこから三十へ。これは三対四の比で、四度の音程である。そこから二十へ。これは二対三の比で、五度の音程である。そこから十へ。これは二倍の比で、八度の音程である。そして調和の比例はこれ以上ないので、そこから先へは進まなかった。これが音楽なしにどうして解せようか。ヨブ記では、神がヨブにこう言われる。「おまえはきらめくプレイアデスの星々をつなぎ合わせることができるか。アルクトゥルスの巡りを散らすことができるか。明けの明星をその時に導き出し、宵の明星を地の子らの上に昇らせることができるか」。この言葉は、天文の知識なしには理解できない。こうした高貴な諸学だけではない。言及されない手仕事の技はひとつもないのである。要するに聖書は、すべての書物を包み込む書物、すべての学問を含み込む学問であって、その理解のためにすべての学問が仕える。そしてそれらをすべて知った後に、容易でないどころか可能でさえないことはもう明らかだが、いま述べたすべてに増して、もうひとつの条件を求める。絶えざる祈りと清い生活である。これほど高い事柄の理解に必要な、魂の浄めと精神の照らしを神から願い受けるためであり、これを欠けば、ほかのすべては何の役にも立たない。
万学の鎖
天使的博士、聖トマスについて、教会はこう語る。「聖書の難しい箇所にあたっては、祈りと断食を用いた。そればかりか、友である修道士レギナルドゥスに、自分の知っていることはみな、学びや労苦によって生み出したというより、神から授かって受け取ったものだと、常々語っていた」。それならば、徳からも学識からもこれほど遠いわたしに、どうして書く勇気があっただろう。そこで、いくらかの基礎を蓄えようと、わたしは絶えずさまざまなことを学んだ。どれか特定のものへの傾きではなく、すべてへの傾きとしてである。だから、ある学問をほかより多く学んだとしても、それはわたしの選択ではない。それらの分野の本がたまたま手近に多くあったという偶然が、わたしの意志とかかわりなく、それらを優先させたのである。わたしを動かす利害もなく、学位の必要からひとつのことを学び続ける時間の制約もなかったので、ほとんど同時にさまざまなことを学び、あるものを置いては別のものに向かった。もっともそこには秩序があった。あるものは学びと呼び、あるものは気晴らしと呼んで、後者で前者の疲れを休めたのである。そこから出てくる結論はこうだ。わたしは多くのことを学び、何も知らない。互いが互いの妨げになったからである。もっともこれは、実技を持つ学問の、実技の部分について言うことである。筆が動くあいだはコンパスが休み、竪琴を弾くあいだはオルガンが静まるのは明らかで、ほかも同様である。習熟を得るには身体の長い鍛錬が要るから、いくつもの稽古に身を分ける者は、決して完全な習熟を持てない。しかし形相的・思弁的な面では逆のことが起こる。わたしは自分の経験をもって、すべての人を説き伏せたいほどである。諸学は妨げ合わないどころか、互いに光を与え、道を開いて助け合うのだと。さまざまな変化と、隠れた連結によってであり、その連結は、この普遍の鎖のために、造り主の知恵が諸学に置いたものである。だから諸学は互いに照応し、驚くべき組み立てと調和によって結ばれているように見える。それは、古代の人々が想い描いた、ユピテルの口から出る鎖である。そこからすべての事物が、互いに輪をつらねて垂れ下がっていた。尊師アタナシウス・キルヒャーが、その興味深い著書『磁石について』で示しているとおりである。すべての事物は神から出る。神は中心であると同時に円周であり、造られたすべての線はそこから出て、そこに止まるのである。
物言わぬ師
わたし自身について確かに言えるのは、ある分野のある著者で分からないことを、遠く離れて見える別の分野の別の著者で理解することがよくある、ということである。しかもその著者たち自身が、説明にあたって、ほかの技芸から採った比喩の例を開いて見せる。論理学者が、中項と両端の項との関係は、離れたふたつの物体が等しいかどうかを突き合わせるための、ひとつの物差しの関係と同じだと言うとき。論理学者の言論は直線のようにもっとも短い道を行き、修辞学者の言論は曲線のようにもっとも長い道を行くが、ふたつは同じ一点に至ると言うとき。注解者は開いた手のひら、スコラ学者は握った拳のようだと言うとき。だから、さまざまなことを学んだのは言い訳にならないし、言い訳として差し出しもしない。諸学はむしろ助け合うのだから。身につかなかったのはわたしの不器用と知性の弱さのせいであって、多様さの罪ではない。わたしの申し開きになりうるとすれば、それは途方もない苦労の方である。師を欠いただけでなく、学んだことを語り合い、鍛え合う学友も欠いていた。師といえば物言わぬ書物ひとつ、学友といえば感覚のないインク壺ひとつ。説明と練習の代わりにあったのは、数々の妨げである。修道者としての務め、これが時間をどれほど有益に使わせるかは言うまでもない、だけではない。共同体につきものの、こまごまとしたことがある。わたしが本を読んでいると、隣の房で楽を鳴らして歌いたくなる人がいる。わたしが学んでいると、ふたりの下女が喧嘩を始め、わたしがその争いの裁き役にされる。わたしが書いていると、友が訪ねてきて、まったくの善意でまったくの迷惑をかける。そこでは邪魔を受け入れるだけでなく、損をさせられたことに感謝までしなければならない。これが絶え間なく続く。わたしが学びにあてる時間は共同体の決まりごとの余りの時間であり、その同じ余りの時間に、ほかの人たちはわたしを邪魔しに来られるのだから。これがどれほど本当のことか分かるのは、共同生活を経験した人だけである。そこでわたしの性分が機嫌よくいられるのは、召命の力のおかげであり、わたしと愛する姉妹たちとのあいだの深い愛のおかげである。愛は結びつきであり、愛にとって遠く離れた両端はないのだから。
学びの辛苦
この点では、わたしの苦労は言葉にならないものだったと告白する。だから、知ることに骨折りはいらなかったと人が言うのを、わたしは羨みながら聞くばかりで、同じことは言えない。幸せな人たちだ。わたしには、知ること、これはいまだに知らないのだが、ではなく、知りたいと望むことだけで、これほど高くついた。わが父聖ヒエロニムスとともに、その成果は伴わないにせよ、こう言えるほどである。「そこでわたしがどれほどの労苦を費やしたか、どれほどの困難に耐えたか、幾たび絶望したか、幾たびやめては、学びたい一心でまた始めたか。その証人は、苦しんだわたし自身の良心であり、わたしとともに生きた人々の良心である」。仲間と証人だけは別である。その慰めさえ、わたしには欠けていたのだから。それ以外は、偽りなく請け合える。それにしても、この因果な傾きは、すべてに打ち勝ってしまうほどのものだったのだ。
房に入らぬ誓い
よくこういうことがあった。神に負うほかの恵みに加えて、わたしはとても柔らかで人なつこい性分を授かっており、修道女たちは、善良な人たちだからわたしの欠点には目を留めず、その性分ゆえにわたしを深く愛し、わたしと一緒にいることをとても喜んでくれる。それを知っているわたしは、彼女たちへの大きな愛に動かされて、彼女たちがわたしを想う以上の理由があるのだから、いっそう彼女たちと過ごすことを喜ぶ。だから、互いに手のすいた時間には、彼女たちを慰め、その語らいに憩いに行くのが常だった。そのあいだ学びがおろそかになっていると気づいて、わたしは誓いを立てた。従順か愛徳が強いるのでなければ、誰の房にも入らない、と。この厳しい手綱なしでは、ただの決心ぐらいの手綱なら、愛が引きちぎってしまうからである。自分のもろさを知っているので、この誓いはひと月、または十五日と区切って立てた。期限が来ると、一日か二日の休戦を置いて、また誓いを立て直した。この休戦の日は、わたしの休息のためというより、学ばないことが休息だったためしはないのだから、気むずかしく、引きこもりがちで、いとしい姉妹たちの身に余る愛情に応えない恩知らずだと思われないためのものだった。
善意の迫害
ここまでで、わたしの傾きの力がどれほどのものかは、よく分かっていただけるだろう。神が讃えられるように。神はこの傾きを文字へ向かうものとし、ほかの悪徳へ向かうものとはなさらなかった。もし悪徳に向かっていたら、わたしにはほとんど抑えようがなかっただろう。また、わたしの哀れな学びが、どれほど流れに逆らって航海してきたか、いや、正しく言えば難破してきたかも、推し量っていただけるだろう。しかも、困難の中でもっとも厳しいものは、まだ語っていない。ここまでのものは、義務から来る妨げと偶然の妨げ、つまり間接の妨げにすぎない。学びの営みを直接に妨げ、禁じようとしてきた、積極的な妨げが残っている。これほど広く称賛されているのを見れば、わたしが世の喝采の手のひらの上を、追い風と凪いだ海で帆走してきたと、誰が信じないだろう。しかし神はご存じである。実際はそうでもなかった。その同じ喝采の花々のあいだから、数えきれないほどの、ねたみと迫害という毒蛇が頭をもたげ、目を覚ましたのだから。しかもわたしにとってもっとも害が深く、身にこたえたのは、あからさまな憎しみと悪意で迫害してきた人々ではない。わたしを愛し、わたしの善を願いながら、そしてその善意ゆえに、おそらく神の御前で大きな功徳を積みながら、ほかの誰よりもわたしを苦しめ、さいなんできた人々である。彼らは言う。「この学問は、修道女が守るべき聖なる無知にふさわしくない。これほどの高みでは、その明敏さと鋭さそのもののせいで、身を滅ぼし、堕ちてしまうだろう」。これに抗うために、わたしはどれほどのものを支払ってきたことか。わたしが殉教者であり、わたし自身が処刑人であるという、めずらしい種類の殉教である。
詩才という不幸
そして、わたしには二重に不幸な、詩を作る才能のためには、たとえ聖なる詩であっても、どれほどの苦労を与えられてきただろうか。与えずにおかれた苦労があっただろうか。確かに、わが夫人よ、ときどき考えてみるのだが、抜きん出た者は、いや、抜きん出させるのは神であり、神だけがそれをなしうるのだが、共通の敵として迎えられる。ある人々の目には、その者が、自分たちの受けるべき称賛を横取りし、自分たちが望んでいた驚嘆をせき止めて独り占めしているように見えるからである。だから人々はその者を迫害する。
秀でる者を憎む法
政治的に野蛮なアテナイのあの法、すなわち資質と徳で抜きん出た者は、それによって公共の自由を踏みにじらないように、国から追放されるというあの法は、いまも続き、いまもわたしたちの時代に守られている。もっとも、アテナイ人のあの動機はもうない。しかし別の動機がある。根拠の点では劣るが、効き目では劣らないものである。それは不敬虔なマキャヴェッリの格率らしく見える。すなわち、抜きん出た者は、ほかの者の輝きを曇らせるから憎め、というのである。いまもそうであり、いつの世もそうだった。
キリストの美
そうでないと言うなら、ファリサイ人たちのキリストへのあの狂おしい憎しみは、逆であるべき理由があれほどあったのに、何が原因だったのか。その姿を見るなら、あの神々しい美しさほど愛すべき資質があるだろうか。心を奪うのに、あれほど力ある資質があるだろうか。人間のどんな美しさでも、人の意志の上に力を持ち、柔らかな、望まれさえする強さでそれを従わせることができるのなら、あれほどの特権と至高の天分を備えた美しさは、何をしただろう。あの計り知れない美しさは、何をなし、何を動かし、何をなさず、何を動かさずにいただろう。その美しい顔からは、磨かれた水晶を通すように、神性の光が透けて差していたのである。人間としての比類ない完全さの上に、神のものである照り輝きをあらわしていたあの面差しが、何を動かさずにいただろう。モーセの顔が、神と語り合っただけで、人間の視力の弱さには耐えがたいものになったのなら、神ご自身が人となったその顔は、どれほどのものだったか。ほかの資質に目を向けるなら、あの天上の慎み深さほど、あらゆる挙措に憐れみをこぼしてゆくあの柔和さとやさしさほど、あの深い謙遜と温順ほど、永遠のいのちと永遠の知恵のあの言葉ほど、愛すべきものがあるだろうか。これが人々の魂を奪わず、人々がこの方に恋い焦がれて、高められてついて行かなかったなどということが、どうしてありえよう。
愛されぬ理由
聖なる母にしてわたしの母でもあるテレサは、キリストの美しさを見てからは、どんな被造物にも心を傾けられなくなったと言う。あの美しさに比べれば、醜さでないものは何ひとつ見えなかったからである。それなら、どうして人間たちには、あれほど逆の効果を生んだのか。粗野で卑しい者として、その完全さを知りもせず尊びもしなかったとしても、せめて利に聡い者として、病人を癒やし、死者をよみがえらせ、悪霊につかれた者を治すという、あれほど多くの恵みの中にある自分たちの利益と得には、心を動かされなかったのか。どうして愛さなかったのか。ああ、神よ。まさにそのために愛さなかったのだ。まさにそのために憎んだのだ。彼ら自身が、そう証言している。
しるしゆえに死を
彼らは議会に集まって言う。「どうしよう。あの男は多くのしるしを行っている」。こんな理由があるだろうか。もし、あれは悪事をなす者だ、律法を破る者だ、欺きで民を騒がせる扇動者だと言ったのなら、実際そう言ったときに偽ったように偽りではあっても、彼らの求めていたこと、つまり命を奪うことには、まだ筋の通った理由づけだった。しかし、抜きん出たことを行うからというのを理由に立てるのは、ファリサイ人ほどの学識ある人々のすることとは見えない。だが、そうなのだ。学識ある人々も、激情にかられると、この種の筋の通らないことを口走る。実際、ただそれだけの理由で、キリストは死なねばならないと決まったのである。人間たちよ、これほど獣じみていて、まだそう呼べるならだが、なぜそれほど残酷な決定なのか。彼らはただ「多くのしるしを行っている」としか答えない。なんということだ。抜きん出たことを行うのが、人の死ぬ理由になるとは。この「多くのしるしを行う」は、あの「もろもろの民のしるしとして立つエッサイの根」という言葉に呼応し、さらにあの「反対を受けるしるし」という言葉に呼応する。しるしだから、死ね。抜きん出ているなら、苦しめ。それが抜きん出た者の受け取る褒美なのだ。
高みの棘
神殿の高いところには、飾りとして風たちや名声の像を据えることがあり、鳥から守るために、像の全身に棘を植える。守りのように見えるが、そうではなく、避けがたい性質なのだ。高みにある者は、身を刺す棘なしではいられない。そこには風の憎しみがあり、そこには自然の力のきびしさがある。そこで雷光は怒りを晴らし、そこは石と矢の的である。ああ、これほど多くの危険にさらされた、不幸な高さよ。ああ、ねたみの的とされ、反対の対象とされるしるしよ。どんな卓越も、位であれ、家柄であれ、富であれ、美貌であれ、学識であれ、この税を払わされる。しかしもっとも厳しくそれを味わうのは、知性の卓越である。第一に、知性はもっとも無防備だからである。富と権力は、挑みかかる者を罰することができるが、知性はそうではない。大きいほど慎み深く、辛抱強くなって、自分を守ることが少なくなる。第二に、グラシアンが学識豊かに言ったとおり、知性の優位は存在の優位だからである。天使が人間にまさるのは、より多く知解するからにほかならない。人間が獣にまさるところも、知解すること、ただそれだけである。だから、誰も他人より劣りたくないのと同じように、誰も、他人の方がより深く知解するとは認めない。それは、相手の方がより上の存在だと認めることになるからである。人は、他人の方が自分より家柄がよい、富んでいる、美しい、さらには学識があるとまでは、耐えて認めるだろう。しかし、より知性があるとなると、認める者はまずいない。「才知において人に譲ろうとする者は稀である」。だからこそ、この資質への砲撃は、これほど激しいのである。
茨の冠
兵士たちがわたしたちの主イエス・キリストを嘲り、慰みものにして玩んだとき、彼らは古びた緋の衣と、うつろな葦と、茨の冠を持ってきて、嘲りの王として戴冠させた。さて、葦と緋の衣は侮辱ではあったが、痛みを与えるものではなかった。ではなぜ、冠だけが痛みを与えるのか。ほかのしるしと同じく、嘲笑と恥辱のものであれば足りたのではないか。それが目的だったのだから。いや、足りない。キリストの聖なる頭、あの神的な脳は、知恵の蔵だったからである。この世では、知恵ある脳は嘲られるだけでは済まない。傷つけられ、痛めつけられなければならない。知恵の宝庫である頭は、茨の冠のほかに冠を期待してはならない。神の知恵が受けた冠を見れば、人間の知恵はどんな花冠を期待できよう。傲岸なローマは、将たちのさまざまな武勲に、さまざまな冠を授けた。市民を守った者には市民冠を、敵の陣営に切り込んだ者には陣営冠を、城壁をよじ登った者には城壁冠を、囲まれた都市や包囲された軍や陣地を解放した者には解囲冠を、また海戦冠を、小凱旋冠を、凱旋冠を、ほかの武勲に応じて。プリニウスとアウルス・ゲッリウスが伝えるとおりである。これほど多くの冠の違いを見て、わたしはキリストの冠はどの種類だろうかと考えた。そして解囲冠だったと思う。あなたもご存じのとおり、夫人よ、それはもっとも誉れ高い冠で、包囲を意味する言葉から解囲冠と呼ばれた。金でも銀でもなく、その武勲のなされた野に生える草そのもので作られた。キリストの武勲は、闇の君に包囲を解かせることだった。闇の君は全地を囲んでいた。ヨブ記で自ら言うとおりである。「わたしは地を巡り、そこを歩き回った」。聖ペトロも彼についてこう言う。「食い尽くすべき者を探して巡り歩いている」。そこへわたしたちの将帥が来て、包囲を解かせた。「いまこそ、この世の君は外へ投げ出される」。それで兵士たちは、金でも銀でもなく、戦いの野であったこの世界が産する自然の実りで、この方に冠をかぶせた。この世界は、あの呪いの後、「おまえのために茨とあざみを生やすだろう」のとおり、茨しか産しなかった。だから、勇敢で知恵ある勝利者への茨の冠は、このうえなくふさわしい冠だった。母なるシナゴーグがそれをかぶせたのである。シオンの娘たちは、この痛ましい凱旋を見に出た。あのもうひとりのソロモンの凱旋には喜びに満ちて出たのに、この方には涙を流して。それは、痛みによって勝ち取られ、涙によって祝われる知者の凱旋だからである。それが知恵の凱旋の仕方なのだ。知恵の王であるキリストが、この冠を最初に身につけた。その聖なるこめかみで聖別されることで、ほかの知者たちから恐れが取り除かれ、知者はこれ以外の栄誉を望むべきでないと悟るためである。
奇跡こそ危険
いのちそのものである方が、死んだラザロにいのちを与えに行こうとされた。弟子たちはその意図を知らず、言い返した。「先生、ユダヤ人たちはついさっきもあなたを石で打とうとしていたのに、またあそこへ行かれるのですか」。贖い主はその恐れに答えられた。「昼は十二時間あるではないか」。ここまでは、弟子たちが恐れたのも分かる。彼らを羊の牧者ではなく盗人だと叱責したために、石で打たれかけたという前例があったからである。だから、また同じことをしに行くのなら、叱責はどれほど正当でも感謝されないのが常だから、主の命が危ういと恐れたのである。しかし、ラザロにいのちを与えに行くのだと、もう思い違いも解けて分かったのに、トマスを動かして、園でのペトロのような勇みを言わせた理由は何だったのか。「わたしたちも行って、ともに死のう」。聖なる使徒よ、何を言うのか。主は死にに行かれるのではない。何を警戒するのか。キリストが行くのは叱責のためではなく、憐れみの業をなすためであり、だから危害を加えられるはずがないのに。ユダヤ人たち自身が、それを保証してくれたはずだ。石で打とうとする彼らにキリストが「わたしは父から出た多くの善い業をあなたがたに見せた。そのどの業のためにわたしを石で打つのか」と問いただしたとき、彼らは「善い業のためにあなたを打つのではない。神を汚す言葉のためだ」と答えたのだから。善い業のためには石で打たないと彼らが言っていて、いまから行ってなすのは、ラザロにいのちを与えるというこれほど善い業なのだから、警戒は何のためか、なぜなのか。むしろこう言う方がよくはなかったか。「行こう。わたしたちの師がなさる善い業への感謝の実りを味わいに。称賛を受け、恵みへの礼を尽くされるのを見に。奇跡への驚嘆を見に」。それなのに、見たところまるで場違いな「わたしたちも行って、ともに死のう」とは。だが、ああ。聖トマスは思慮深い者として恐れ、使徒として語ったのだ。キリストは奇跡を行いに行くのではないか。それなら、これより大きな危険があろうか。傲慢にとって叱責を聞くことは、ねたみにとって奇跡を見ることほどには、耐えがたくないのである。尊い夫人よ、ここまで述べたすべてにおいて、わたしは、知っているがゆえに迫害されたなどと言うつもりはない。そんな血迷ったことは、わたしには考えられもしない。言いたいのはただ、知恵と文字への愛を持っていたがゆえに、ということである。そのどちらかを手に入れたから、ではない。
遠くから従う罰
使徒たちの頭である聖ペトロは、ある時期、あの含みの深い言葉が強調するほど、知恵から遠いところにいた。「ペトロは遠くから従っていた」。「自分が何を言っているのか分からずに」という、思慮を欠く者の肩書きを持っていた人は、学識者への称賛から遠かった。知恵を知っているかと問いただされたときも、ほんのわずかな知識にも達していないと自分で言った。「女よ、あなたが何を言っているのか分からない」。「女よ、わたしはあの人を知らない」。それで彼はどうなったか。無知という評判を持ちながら、知者の幸運ではなく、知者の苦難を受けたのである。なぜか。挙げられた理由はただひとつ。「この男もあの人と一緒にいた」。彼は知恵を慕っていた。心を奪われ、その後を歩き、知恵に従う者、知恵を愛する者であることを誇りとしていた。それがあまりに「遠くから」であって、知恵を理解することも、そこに届くこともなかったのに、その責め苦をこうむるには十分だった。外には彼を苦しめない兵士はおらず、家の内には彼を責めない下女もいなかった。わたしも告白する。わたしは知恵の境域からひどく遠いところにいて、それでも、遠くからであれ、知恵に従いたいと望んできた。しかしそれはすべて、迫害の火へ、責め苦のるつぼへと近づくことでしかなかった。その極みとして、わたしに学問を禁じるよう働きかける人々まで現れたのである。
万物という書物
一度、それがかなってしまったことがある。とても聖らかで、とても無垢な修道院長が、学問は異端審問にかかわる事柄だと思い込み、わたしに学ぶなと命じたのである。わたしは従った。彼女に命じる権限があった三か月ほどのあいだ、本を手に取らないという点では。しかし、まったく学ばないという点では、それはわたしの力の及ぶところにないので、できなかった。本で学ばなくても、神が造られたすべての事物で学んでいたからである。事物が文字の代わりになり、この宇宙という仕掛けの全体が書物の代わりになった。何を見ても省察なしには見えず、何を聞いても考察なしには聞こえなかった。もっとも細かな、もっとも卑近な物事においてさえ、である。どれほど低い被造物でも、「神がわたしを造られた」と読み取れないものはないのだから、しかるべく考察するなら、知性を驚嘆させないものはひとつもない。だから、繰り返して言うが、わたしはすべてを眺め、すべてに感嘆した。語り合う当の人々からも、その人たちの言うことからも、千の考察が湧き立ってくるほどだった。みな同じひとつの種でありながら、あの気質と才知の多様さは、どこから流れ出てくるのか。それを生じさせる体質と、隠れた性質は何なのか。図形を見れば、その線の釣り合いを組み合わせ、知性で測り、別のさまざまな図形に置き換えていた。ときどき、わたしたちの寝室の奥の壁ぎわを行き来しながら、よく観察していた。この部屋はとても広いのだが、両側の線は平行で、天井は水平なのに、目には、線が互いに傾き寄り、天井は近くより遠くの方が低いように見える。そこからわたしは、視線はまっすぐに走るが平行ではなく、ピラミッドの形を作るように進むのだと推論した。そして考えをめぐらせた。古代の人々が、世界は球形かどうかを疑わざるをえなかったのは、これが理由ではなかったか。球形に見えても、それは目の欺きかもしれず、本当はないかもしれないところに、くぼみを示して見せるのだから。
独楽と三角形
何につけてもこうした観察が起こることは、昔もいまも変わらず、わたしの自由にはならない。むしろ頭が疲れるので、腹立たしく思うことの方が多い。わたしは、誰にでも同じことが起こるのだと思っていた。詩を作ることもそうである。経験が逆だと教えてくれるまでは。この性質なのか習い性なのか、とにかくわたしは、二度目の考察なしには何も見ない。わたしの前でふたりの女の子が独楽を回して遊んでいた。その動きと形を見るやいなや、わたしはこの性懲りもなさで考え始めた。球形というものの動きやすさについて。そして、一度刻み込まれた弾みが、原因から離れてもどのように持続するかについて。動かす原因である女の子の手が離れても、小さな独楽は踊り続けていたのだから。それで満足せず、わたしは小麦粉を持ってこさせ、ふるわせた。その上で独楽が踊れば、その動きの描くものが完全な円かどうかが分かるからである。そして分かったのは、円ではなく、弾みが弱まっていくにつれて円らしさを失っていく、螺旋の線だということだった。ほかの子たちは留め針遊びをしていた。幼さが興じる遊びの中でも、もっともたわいないものである。わたしは寄っていって、針が作る図形を眺めた。たまたま三本が三角形に置かれたのを見ると、わたしは一本をまた一本へとつなぎ始めた。それは、ソロモンの神秘の指輪にあったと言われる図形で、そこには至聖なる三位一体のかすかな光と似姿があり、その力によって指輪は数々の奇しい業と不思議を行ったという。そして、ダビデの竪琴も同じ図形を持っていて、だからサウルはその音で癒やされたと言われる。いまの時代の竪琴も、ほとんど同じ形を保っている。
台所の哲学
それなら夫人よ、料理をしながら見つけた自然の秘密について、どれほどのことをお話しできるだろう。卵は、ラードや油の中ではまとまって揚がるのに、反対に、シロップの中ではばらばらに砕けるのを見る。砂糖を溶けたまま保つには、マルメロなどの酸っぱい果実を浸しておいた水を、ごくわずか加えれば足りるのを見る。同じひとつの卵でも、黄身と白身はまるで反対のもので、砂糖に使うときには、それぞれ別々になら使えるのに、一緒では使えないのを見る。こんなつまらない話であなたを疲れさせないようにしよう。わたしの性分を余すところなく知っていただくために語っているだけで、きっと笑われるだろうと思う。しかし夫人よ、女のわたしたちに、台所の哲学のほかに何が知れよう。ルペルシオ・レオナルドがうまいことを言った。夕食をととのえながらでも、哲学はちゃんとできる、と。わたしもこうした小さな事柄を見ては、よく言うのである。アリストテレスが料理をしていたら、もっとずっと多くを書いただろうに、と。わたしの思索の流儀の話を続けるなら、これはわたしには絶え間のないことなので、書物さえ要らない。あるとき、胃の重い患いのために、医者たちがわたしに学問を禁じたことがある。数日はそのまま過ごしたが、やがてわたしは申し出た。書物を許してくれる方が害は少ない。わたしの思索はあまりに強く激しいので、四半時のあいだに、書物での学び四日分より多くの精気を使い果たしてしまうのだから、と。こうして医者たちは折れて、読むことを許してくれた。それだけではない、わが夫人よ。眠りさえ、このわたしの想像力の絶え間ない運動を免れなかった。むしろ眠りの中でこそ、想像力はいっそう自由にのびのびと働き、昼のあいだに蓄えた心象を、より澄んだ静けさの中で突き合わせ、論証し、詩を作る。その詩だけでも、とても大きな目録が作れるだろうし、起きているときよりも眠っているときの方がうまく届いた、いくつかの論証や精妙な考えもある。だが、あなたを疲れさせないために、それは置いておく。ここまで述べたことで、あなたの明敏さと洞察は、わたしの性分のすべてと、わたしの学びの始まりと手立てといまとを、あますところなく見抜き、知り尽くされるには十分だろうから。
裁きは委ねる
夫人よ、もしこれらが功績であるなら、男においてはそう讃えられるのを見るのだが、わたしにおいては功績ではなかっただろう。わたしは必然に迫られてそうしているのだから。もし罪であるなら、同じ理由で、罪もなかったと思う。それでもわたしは、いつも自分というものを信じかねているので、このことでもほかのことでも、自分の判断をあてにしない。だからこの裁きは、あなたのその至高の才知に委ね、下される判決がどうであれ、逆らいも嫌がりもせずに従う。ここまで述べてきたことは、文字へのわたしの傾きの、ただの物語にすぎないのだから。
聖書の女たち
もうひとつ告白する。すでに述べたとおり、これは手本を必要としないほど確かな真実ではあるが、それでも、聖なる文字においても人間の文字においても、読んできた多くの手本がわたしを助けてくれなかったわけではない。わたしは見る。デボラが、軍事においても政治においても法を与え、あれほど多くの学識ある男たちのいた民を治めているのを。この上なく賢いシバの女王が、知者の中の最大の知者の知恵を、謎をもって試すほど学識に富み、それを咎められるどころか、かえってそれによって、信じない者たちを裁く者となるのを。これほど多くの、これほど傑出した女たちを見る。アビガイルのように預言の賜物に飾られた者、エステルのように説得の、ラハブのように信心の、サムエルの母ハンナのように忍耐の賜物に飾られた者。そして、ほかの種類の資質と徳における、無数の女たちを。
異邦の女たち
異邦の民をひもとくなら、まず出会うのはシビュラたちである。わたしたちの信仰のおもだった奥義を預言するために神に選ばれ、その詩は学識と優雅に満ちて、驚嘆を誘ってやまない。ミネルウァのような女が、諸学の女神として崇められているのを見る。最初のユピテルの娘にして、アテナイのすべての知恵の師である。ポラ・アルヘンタリアを見る。夫ルカヌスが、あの大作『ファルサリアの戦い』を書くのを助けた人である。神のごときテイレシアスの娘が、父よりも学識があったのを見る。パルミラ人の女王ゼノビアが、勇敢であるのと同じだけ賢かったのを見る。アリスティッポスの娘アレテは、この上なく学識があった。ニコストラタはラテン文字の発明者で、ギリシアの文字にも深く通じていた。ミレトスのアスパシアは哲学と修辞学を教え、哲学者ペリクレスの師であった。ヒュパティアは天文の学を教え、アレクサンドリアで長く講義した。ギリシアの女レオンティオンは、哲学者テオフラストスに反駁する書を書いて、言い負かした。ユキアがいて、コリンナがいて、コルネリアがいる。要するに、ギリシアの女たちとして、ムーサたちとして、巫女たちとして名を残すに値した、あの大いなる群れのすべてである。彼女たちはみな学識ある女たちにほかならず、古代からそのような者として認められ、讃えられ、崇められもした。書物に満ちあふれる、ほかの無数の女たちは別としても、である。わたしは見る。あのエジプトのカタリナが、エジプトの知者たちのあらゆる知恵を講じ、言い伏せたのを。ゲルトルードが読み、書き、教えたのを。そして、手本を家の外に探すまでもなく、わたしのこの上なく聖なる母パウラを見る。ヘブライ、ギリシア、ラテンの言葉に学識深く、聖書を解釈するのにもっとも適した人であった。その伝記を書いたのが、最大の人ヒエロニムスでありながら、聖人は自分がその役に値するとはほとんど思えなかった。これ以上はないという、あの生き生きとした重みと力のこもった語り口で、彼は言う。わたしの体のすべての肢体が舌になったとしても、パウラの知恵と徳を言い広めるには足りないだろう、と。同じ称賛を、やもめのブレシラも受けた。同じ称賛を、誉れ高いおとめエウストキウムも受けた。ふたりとも同じ聖女の娘であり、妹の方は、その学識のゆえに世界の奇跡と呼ばれたほどである。ローマの女ファビオラも、聖書にこの上なく学識があった。ローマの女プロバ・ファルコニアは、ウェルギリウスの詩句をつづり合わせて、わたしたちの聖なる信仰の奥義についての優雅な書物を書いた。第十のアルフォンソの妻、わたしたちの王妃イサベルが天文の学について書いたことは、よく知られている。ほかにも挙げられるが、人の言ったことの書き写しになるので省く。それはわたしがいつも忌み嫌ってきた悪癖である。そして、わたしたちの時代には、スウェーデン女王、大いなるクリスティナ・アレクサンドラが花開いている。学識に富むことは、勇敢で度量の大きいことに劣らない。さらに、この上なく高貴なアベイロ公爵夫人とビリャウンブロサ伯爵夫人も。
私的な学びは可
尊いアルセ博士は、徳と学識によって聖書の教授の名に値する人だが、その著書『聖書の学徒』でこの問いを立てる。「女が聖書の学びに打ち込むことは許されるか。それを解釈することは許されるか」。そして反対側の論拠として、聖人たちの多くの言葉を引く。ことに使徒のあの言葉である。「女たちは教会では黙っていなさい。彼女たちには語ることが許されていない」云々。次いで別の言葉も引く。同じ使徒のテトス宛てのあの箇所、「年老いた女たちも同じように、聖なる装いをもって、善く教える者でありなさい」を、教父たちの解釈とともに。そして最後に、その思慮深さをもってこう結論する。講座で公に講義することと、説教壇で説教することは、女には許されない。しかし、私的に学び、書き、教えることは、許されるだけでなく、大いに益があり有用である、と。もちろんこれは、すべての女についてではなく、神が特別の徳と思慮を授け、十分に円熟して学識があり、これほど聖なる務めに必要な才能と資格を備えた女についてである。そしてこれはまことに正当なことで、無能と見なされている女たちだけでなく、男であるというだけで自分を賢いと思っている男たちにも、よほど学識と徳があり、素直でよい方へ傾く才知の持ち主でないかぎり、聖なる文字の解釈は禁じられるべきなのである。そうでなかったからこそ、あれほど多くの分派の徒が出て、あれほど多くの異端の根になったのだと、わたしは思う。無知になるために学ぶ者が多くいるからである。ことに、傲慢で、落ち着きがなく、思い上がった心の持ち主、律法における新奇の友である。律法こそ、新奇を拒むものなのに。だから彼らは、誰も言わなかったことを言おうとして異端を口にするまでは、満足しない。こういう者たちについて、聖霊は言う。「悪意ある魂に知恵は入らない」。彼らには、知ることが、知らずにいることよりも大きな害になる。ある気のきいた人が言った。ラテン語を知らない者は、まだ愚か者として一人前ではない。知っている者は、もう資格十分である、と。わたしはこう付け加える。哲学と神学を少しばかりかじり、いくつかの言語に心得があれば、愚かさというものに完成があるならだが、その者は完成する。それでもう、多くの学問と多くの言語において愚かでいられるのだから。大きな愚か者は、母語ひとつには収まりきらないのである。
狂人に剣
こういう者たちには、繰り返して言うが、学ぶことが害になる。狂った者の手に剣を握らせるようなものだからである。剣は身を守るためのこの上なく高貴な道具だが、その手の中では、本人と多くの人の死となる。聖なる文字も、よこしまなペラギウスと強情なアリウス、よこしまなルターと、そのほかの異端の頭目たちの手の中では、そうだった。わたしたちの博士カサリャ、いや、わたしたちのものであったことも博士であったこともない男だが、その男も同じである。彼らには知恵が害になった。知恵は魂のもっともよい糧であり、いのちではあるが、体質が悪く、熱の損なわれた胃では、受け取る食べ物が良質であるほど、生じる体液はかえって乾き、発酵し、ねじけたものになる。それと同じで、この悪意ある者たちは、学べば学ぶほど悪い見解を生み出す。本来みずからを養うはずのものによって、知性がふさがれてしまうのである。つまり、多く学んで少ししか消化せず、自分の知性という限られた器に釣り合わせないからだ。これについて使徒は言う。「わたしに与えられた恵みによって、あなたがたの中のすべての人に言う。思うべき程度を超えて思い上がらず、慎みをもって思いなさい。神が各々に分け与えられた信仰の量りに従って」。実のところ使徒は、これを女たちに言ったのではなく、男たちに言ったのである。あの「黙っていなさい」も、女たちだけのものではなく、十分な適性のないすべての者のためのものだ。アリストテレスや聖アウグスティヌスと同じだけ、あるいはそれ以上に知りたいと願っても、わたしに聖アウグスティヌスやアリストテレスの適性がなければ、ふたり以上に学んだところで、達せられないばかりか、対象との釣り合いを欠いて、わたしの弱い知性の働きを弱らせ、鈍らせるだけだろう。
身の丈を測れ
ああ、わたしたちの誰もが、無知なわたしを筆頭に、学ぶ前に、そしてもっと悪いのは、人と並び、人を越えようとする野心に駆られて書く前に、自分の才能の寸法を測ってみたなら。どれほど意気がくじけ、どれほど多くの過ちを免れ、世にあふれるどれほど多くのねじけた解釈が、出回らずに済んだことか。わたしの解釈を、その筆頭に置く。もし自分をしかるべく知っていたなら、まさにこれも、わたしは書かなかっただろう。誓って言うが、こうして書くのは、ただあなたに従うためである。そのためらいは深く、この恐れとともに筆を取ったことの方を、より完成した作品をお送りした場合よりも、大きな貸しとして認めていただきたいほどである。とはいえ、これはあなたの添削に委ねられるものだ。消し、破り、叱ってほしい。それをわたしは、ほかの人々がくれるどんな空しい喝采よりも尊ぶだろう。「義人は憐れみをもってわたしを打ち、叱ってくれるだろう。しかし罪人の油は、わたしの頭を潤すことがないように」。
レタへの手紙
わたしたちのアルセに戻ろう。彼は自説の裏づけとして、わが父聖ヒエロニムスの、レタに宛てた娘の教育についての手紙のあの言葉を引いている。「まだ柔らかな舌を、甘い詩編で潤しなさい。言葉をつなぐことに少しずつ慣れていくその名前も、行き当たりばったりではなく、定まった、意図して集められたものにしなさい。すなわち預言者たちと使徒たちの名、アダムから始まる族長たちの系譜を、マタイとルカから引いて。そうすれば、別のことをしているあいだに、将来の記憶の備えができる。日ごとに、聖書の花々から摘んだ務めの課題を、あなたに差し出させなさい」。話し始めたばかりの女の子をこのように教育せよと聖人が望んだのなら、自分の修道女たち、霊の娘たちには何を望むだろう。それは、すでに挙げたエウストキウムとファビオラ、またマルケラ、その妹パカトゥラ、そのほか聖人が手紙の中で讃え、この聖なる務めへと励ました女たちによく表れている。いま引いた手紙にも表れていて、わたしはそこの「あなたに課題を差し出させなさい」に目を留めた。これは聖パウロの「善く教える者でありなさい」への呼びかけであり、響き合いである。わが偉大な父の「あなたに差し出させよ」は、その女の子の師が、母であるレタその人でなければならないことを分からせるのだから。
学識ある老女を
ああ、わたしたちの国で、老いた女たちがレタのように学識を持ち、聖パウロとわが父聖ヒエロニムスの命じるとおりに教えることができたなら、どれほど多くの害が避けられただろう。それがないために、そして哀れな女たちを打ち捨ててきた、あのひどい怠慢のために、娘に並より深く教えたいと望む父親がいても、知恵ある老女がいないという必要と欠乏に迫られて、読み書きと算術、楽器そのほかの技能を教えるのに、男の教師を連れてこざるをえない。そこから少なくない害が生じている。釣り合いを欠いた結びつきの痛ましい例として、日々経験されているとおりである。身近に接し、時を分かち合ううちに、ありえないと思われていたことが、たやすいことになってしまうのが常だからだ。そのため多くの親は、男との親密さというこれほど明白な危険に娘をさらすくらいなら、無骨で教養のないままにしておく方を選ぶ。これも、聖パウロの望むとおり、学識ある老女たちがいたなら避けられたはずである。針仕事やほかの習いごとの手ほどきがそうであるように、教えることが女から女へと受け継がれていったなら。
女が女を教える
というのも、文字に学識があり、語らいも品行も聖らかな老いた女が、おとめたちの教育を引き受けることに、どんな不都合があるのか。実際には、おとめたちは、教えがないために身を持ち崩すか、男の教師というあれほど危険な手立てで教えられようとするかである。恥じらい深い女、自分の父に顔を見られてさえ頬を染める女のかたわらに、赤の他人の男が座り、家の者のような気安さで接し、師としての遠慮のなさで接するという、その不作法以上の危険がなかったとしても、男と接し語り合うことへの恥じらいだけで、禁じるには十分である。男が女を教えるこのやり方が危険なしで済むとは、わたしには思えない。告解室という厳格な法廷でか、説教壇という離れた教えの座でか、書物という遠い知り合い方でなら別だが、すぐそばで手の届く近さでは、ありえない。これが本当のことだと、誰もが知っている。それでも許されているのは、ただ知恵ある老女がいないという欠けのためである。それなら、彼女たちがいないことこそ大きな害なのだ。「女たちは教会では黙っていなさい」に縛られて、女が知ることと教えることを冒涜のようにののしる人々は、このことを考えるべきである。まるで、「善く教える者でありなさい」と言ったのが同じ使徒ではないかのように。そのうえ、あの禁止はエウセビオスの伝える歴史の事情にかかっている。初代教会では、女たちが神殿の中で互いに教理を教え合っていて、そのざわめきが使徒たちの説教のとき妨げになった。だから黙るよう命じられたのである。いまでも、説教師が説教しているあいだは、声に出して祈らないのと同じことだ。
古の風習と語法
多くの箇所を理解するには、それが書かれた時代の歴史、風習、儀式、ことわざ、さらには語り方までも深く知る必要があることは、疑いない。聖なる文字のいくつかの言い回しが何にかかり、何をほのめかしているのかを知るためである。「あなたがたの衣ではなく、心を裂け」。これは、ヘブライ人が悲しみのしるしに衣を裂いた儀礼へのほのめかしではないか。キリストが冒涜したと言ったとき、あの悪しき大祭司がしたとおりである。やもめの救済についての使徒の多くの箇所も、あの時代の風習を見ていたのではないか。強い女についてのあの箇所、「その夫は門にあって誉れ高い」は、裁き人の法廷が町々の門に置かれていた風習へのほのめかしではないか。「神に土地を献げる」は、何かの誓願を立てることを意味したのではないか。公然の罪人は「冬ごもりする者たち」と呼ばれたのではないか。ほかの者が軒先で償いをしたのと違って、彼らは吹きさらしの空の下で償いをしたからである。口づけと足を洗うことを欠いたという、キリストのファリサイ人へのあの苦言は、ユダヤ人がそれらを行う風習を持っていたことに基づくのではないか。そしてほかにも無数の箇所がある。聖なる文字だけでなく人間の文字にも、一歩ごとに出くわす。「紫衣を拝せよ」は、王に従うことを意味した。「彼を手から放つ」は自由を与えることを意味し、奴隷に平手を一度打って自由を与える風習と儀礼をほのめかす。ウェルギリウスのあの「天が鳴った」は、西に向かって鳴る雷は吉兆とされた占いへのほのめかしである。マルティアリスのあの「おまえは野兎を食べたことがないのだな」は、野兎という言葉の掛けことばの妙だけでなく、野兎が持つと言われた効能へのほのめかしでもある。あのことわざ、「マレア岬を回る者は、家のことを忘れよ」は、ラコニアの岬の大きな危険をほのめかす。しつこい求婚者への、あの貞淑な婦人の答え、「わたしのために戸の軸に脂が塗られることも、松明が燃えることもないでしょう」は、結婚するつもりがないという意味で、婚礼で戸口に脂を塗り、婚礼の松明をともす儀礼をほのめかしている。いまで言うなら、わたしのために結納が交わされることも、司祭が祝福を唱えることもないでしょう、と言うようなものだ。ウェルギリウスやホメロス、すべての詩人と弁論家にあれほど多くの注釈があるのは、このためである。それ以外にも、聖なる箇所には、文法の面でさえ、どれほどの難しさが見つかることか。単数の代わりに複数を置くこと。二人称から三人称へ移ること。雅歌のあの「その口の口づけをもってわたしに口づけしてくださるように。あなたの乳房はぶどう酒にもまさって甘いのだから」のように。対格の代わりに属格で形容語を置くこと。「救いの杯をわたしは受けよう」のように。男性形の代わりに女性形を置くこと。また逆に、どんな罪でも姦淫と呼ぶこと。
黙せの真意
これらすべては、ある人々が思っているよりも多くの読書を求める。文法をかじっただけ、せいぜい論理学入門の用語を四つばかり覚えただけで聖書を解釈しようとし、「女たちは教会では黙っていなさい」にしがみつく人々である。これをどう理解すべきかも知らずに。別の箇所の「女は静けさのうちに学べ」にも、である。この箇所は、女に不利というより有利である。学べと命じているのだから。そして学んでいるあいだ黙っている必要があるのは、当然のことだ。こうも書かれている。「イスラエルよ、聞け。そして黙せ」。ここでは男と女の全体に向かって語られ、すべての者に黙るよう命じられている。聞いて学ぶ者が、心を傾けて黙っているのは、大いに道理だからである。そうでないと言うなら、聖パウロのこの解釈者、注解者たちに、あの箇所「女たちは教会では黙っていなさい」をどう理解しているのか、説明してもらいたいものだ。これは、説教壇や講座という物の面で理解するか、信徒の総体、すなわち教会という形の面で理解するか、どちらかしかない。第一の意味で取るなら、わたしの考えではこれが真の意味であり、現に教会では、女が公に朗読することも説教することも許されていないのだが、それならなぜ、私的に学ぶ女たちを責めるのか。第二の意味で取り、使徒の禁止があらゆる場に及ぶもので、ひそかに書くことも学ぶことも女には許されないとしたいのなら、教会がゲルトルード、テレサ、ビルギッタ、アグレダの修道女、そのほか多くの女たちに書くことを許してきたのは、どういうわけか。彼女たちは聖女だったと言われるなら、それは本当だが、わたしの論の妨げにはならない。第一に、聖パウロの命題は無条件のもので、聖女の例外なしに、すべての女を含むからである。使徒の時代にも、マルタとマリア、マルケラ、ヤコブの母マリア、サロメ、そのほか初代教会の熱心の中にいた多くの聖なる女たちがいたのに、使徒は彼女たちを例外にしていない。そしていま見るとおり、教会は聖女にも聖女でない女にも書くことを許している。アグレダの修道女とマリア・デ・ラ・アンティグアは列聖されていないのに、その書きものは世に流布している。聖テレサたちが書いたときも、まだ列聖されていなかった。それなら、聖パウロの禁止は、説教壇という公の場だけを見ていたのである。もし使徒が書くことを禁じたのなら、教会がそれを許すはずがないのだから。さて、わたしは教えようとは思わない。それはわたしには、度はずれた思い上がりだろう。書くことも、わたしのもの以上の才能と、よほど深い考えを求める。聖キプリアヌスがそう言っている。「わたしたちの書くものは、重い考量を必要とする」。わたしが望んできたのはただ、無知を減らすために学ぶことである。聖アウグスティヌスによれば、あることは行うために学ばれ、あることはただ知るために学ばれる。「わたしたちはあることを知るために学び、あることを行うために学ぶ」。それなら、罪はどこにあったのか。女にも許されていること、つまり書いて教えることさえ、わたしはしていない。自分にその蓄えがないことを知っているからで、クインティリアヌスの助言に従ってのことである。「各々は自分を知れ。そして他人の教えからだけでなく、自分の本性から判断を汲み取れ」。
異を唱える自由
罪があの「アテナにふさわしい手紙」にあると言うなら、あれは、わたしたちの聖なる母である教会への、当然のあらゆる敬意をもって、わたしの考えをありのままに述べたにすぎないではないか。教会がその聖なる権威によってわたしに禁じないのに、なぜほかの人々が禁じなければならないのか。ヴィエイラと反対の意見を持つことがわたしの不遜なら、教会の三人の聖なる教父に逆らう意見を持つことは、師父たるあの方の不遜ではなかったのか。わたしの知性は、こんなものではあっても、同じ土壌から出ているのだから、あの方の知性と同じだけ自由ではないのか。あの方の意見は、啓示された聖なる信仰の原理のひとつで、目をつぶって信じなければならないものだとでもいうのか。そのうえわたしは、あれほどの人物に払うべき礼節を欠いてもいない。かの地で、あの方の擁護者が礼節を欠き、「品位は技芸に伴うべきである」というティト・ルシオの格言を忘れたのとは違う。聖なるイエズス会の衣の毛一本にも触れていない。わたしに書くよう仄めかした方の判断のためだけに書いたのであって、プリニウスの言うとおり、「公にする者と、名指しのひとりに語る者とでは、立場が同じではない」。もし公にされると思っていたら、あれほど身なりに構わないままでは出さなかっただろう。検閲者の言うように異端だと言うなら、なぜ告発しないのか。そうすればあの人の恨みは晴れ、わたしは満足する。わたしは当然のこととして、学識ある女という名より、カトリック者、聖なる母である教会の従順な娘という名の方を尊ぶのだから。粗野だと言うなら、それはそのとおりだから、笑うがいい。たとえそれが、人の言う兎の笑いであっても。わたしは称賛してくれとは言わない。わたしがヴィエイラに異を唱える自由を持っていたように、誰でも、わたしの見解に異を唱える自由を持つのだから。
二人の修道女
だが、わが夫人よ、わたしはどこへ行こうとしているのか。この話はここにふさわしくないし、あなたの耳に入れるものでもない。わたしを非難する人々のことを扱ううちに、最近出てきたある人の文言を思い出して、筆が知らぬまに滑り、その人に個別に答えようとしてしまった。わたしのつもりは、一般のこととして語ることだったのに。さて、わたしたちのアルセに戻れば、彼はこの都でふたりの修道女を知ったと言う。ひとりはレヒナ修道院にいて、聖務日課書をすっかり記憶していて、語らいの中で、その詩句や詩編、聖人たちの説教の文言を、驚くほど敏速に、的確に引き当てた。もうひとりはコンセプシオン修道院にいて、わが父聖ヒエロニムスの書簡とその聖人の語法を読み慣れていて、アルセはこう言うほどである。「ヒエロニムスその人がスペイン語で語るのを聞いている、と思ったことだろう」。そしてこの人については、死後に知ったこととして、その書簡を俗語に訳していたと言う。アルセは、これほどの才能が、学問の原理に基づくより大きな学びに用いられなかったことを惜しんでいる。どちらの名も挙げていないが、自説の裏づけとしてふたりを引いている。その自説とは、聖なる文字の学びは女に許されるだけでなく、このうえなく有益で必要であり、修道女にはなおさらだ、というものである。それはまさに、あなたの思慮がわたしに勧めてくださることであり、これほど多くの理由が集まって支えることでもある。
詩は聖書にも
さて、あれほど迫害される、詩を作る才能に目を戻すなら、それはわたしにはあまりに生まれつきのものなので、この手紙が詩にならないようにするのにも自分を押さえつけているほどで、あの「語ろうとするものはみな、詩になっていた」を引いてもよいくらいだが、これほど多くの人にこれほど非難され、罪に数えられるのを見て、わたしはことさらに、詩が持ちうる害とは何かを探してみた。そして見つからなかった。むしろ見るのは、シビュラたちの口で称賛され、預言者たちの筆で聖別された詩である。ことに王ダビデの筆で。あの偉大な注解者、わたしの愛する父は、ダビデの韻律の調べを説明してこう言う。「フラックスやピンダロスの流儀で、あるときはイアンボスで走り、あるときはアルカイオス調で響き、あるときはサッポー調でふくらみ、あるときは半歩格で歩む」。聖なる書物の大半は韻文である。モーセの歌のように。ヨブ記は、聖イシドルスがその『語源』で言うには、英雄詩の韻律で書かれている。ソロモンは婚礼歌でそれを書き、エレミヤは哀歌で書いた。だからカッシオドルスは言う。「詩のあらゆる語りは、聖なる書物にその始まりを汲む」。わたしたちのカトリック教会は、詩を蔑まないどころか、賛歌に用い、聖アンブロシウス、聖トマス、聖イシドルスなどの詩を唱えている。聖ボナヴェントゥラの詩への愛着は、詩のないページがほとんどないほどだった。聖パウロが詩を学んでいたことも明らかである。詩を引用し、アラトスの詩句を訳して、「わたしたちは神の内に生き、動き、存在する」と言い、パルメニデスのあの詩句、「クレタ人はいつも嘘つき、悪い獣、怠け者」を引いているのだから。ナジアンゾスの聖グレゴリオスは、結婚の問題と童貞性の問題を、優雅な詩で論じている。これ以上、何を骨折ることがあろう。知恵の女王であるわたしたちの聖母が、その聖なる唇で、マニフィカトの歌を歌われたのだ。聖母を手本に挙げたからには、世俗の例を持ち出すのは非礼だろう。どれほど重々しく学識深い男たちの例であっても。これだけで証明には十分なのだから。そして見てのとおり、ヘブライの優雅さはラテンの韻律に収めることができず、そのために聖なる翻訳者は、意味の重要さを優先して韻文を捨てたが、それでも詩編は「詩」の名と詩句の区分を保っている。それなら、詩そのものが持ちうる害とは何なのか。悪い使い方は技芸の罪ではなく、それを損なう悪い使い手の罪である。詩を悪魔の罠にしてしまう者の罪なのだ。そしてこれは、あらゆる分野、あらゆる学問で起こることである。
喝采こそ危うい
それなら、悪は女が詩を用いることにあると言うなら、どれほど多くの女たちが、称賛に値する仕方で用いてきたかは、すでに見たとおりである。では、わたしが女であることの、どこに悪があるのか。もちろん、自分のつたなさと卑しさは告白する。しかし、わたしの詩のひとつでも、慎みを欠いたものが見られたとは思わない。そのうえわたしは、自分の意志で何かを書いたことは一度もない。人の頼みと言いつけによってである。それも徹底していて、自分の楽しみのために書いた覚えがあるのは、『夢』と呼ばれる小さな紙切れひとつしかない。わが夫人よ、あなたがあれほど栄誉を与えてくださったあの手紙も、ほかの何にも増して嫌々ながら書いた。すでに述べたとおり、畏れ敬っている聖なる事柄についてのものだったからであり、また、人に反駁しようとするもののように見えたからでもある。反駁は、わたしが生まれつき嫌っていることなのだ。そして思う。あの手紙が生まれついた幸運な運命を、もし前もって知ることができていたら。わたしはあの手紙を、もうひとりのモーセのように、捨て子として沈黙というナイルの水に投げたのだが、そこであなたのような王女が見つけ、慈しんでくださった。繰り返して言うが、もしそうなると思っていたら、生まれ落ちようとするその手の中で、先に絞め殺していただろう。わたしの無知のつたない書き散らしが、あなたの知の光の前にさらされるのが怖いからである。ここからも、あなたの善意の大きさが分かる。あなたの澄みきった知性が必ずや嫌っているに違いないものを、あなたの意志が称賛してくださっているのだから。しかし、あの手紙の運が、あれをあなたの戸口に投げ出したからには、名前さえあなたに付けていただくほどの捨て子で、みなしごだったのだから、数ある不格好さの上に、急ぎの欠陥まで負っていたことが悔やまれる。絶え間なく患っている健康のせいでもあり、従順がわたしに課す仕事の多さのせいでもある。書くのを手伝ってくれる人もなく、すべてが自分の手によるほかなく、そして、気性に逆らうことで、逆らえない方への約束を果たすだけのつもりだったから、書き終える時が待ちきれなかった。それで、浮かんでくる論述のまとまりや多くの論証を、これ以上書かないために、まるごと割愛した。印刷されると知っていたら、割愛しなかっただろう。少なくとも、後に湧き起こったいくつかの反論に、先に答えておくためにも。それらの反論をお送りすることもできるが、あなたの目の清らかさの前に、これほど見苦しいものを置くほど、礼を失しはすまい。わたしの無知で汚すだけで十分であって、他人の不躾まで送り届けるには及ばない。もしそれらがひとりでにそちらへ飛んでいったら、なにしろ軽いものだから、きっとそうするだろうが、わたしのすべきことを命じてほしい。あなたの言いつけが入らないかぎり、自分の弁護のためには、わたしは決して筆を取らない。身を隠すことそのものの中に自分の誤りを認めている者には、他人が答えてやる必要はないと思うからである。わが父聖ヒエロニムスの言うとおり、「善い言葉は隠れ場を求めない」。聖アンブロシウスも言う。「隠れるのは、やましい良心のすることである」。わたしは、自分が論駁されたとも思っていない。法のある規則が言うとおりである。「告発は、それを出した者の名を気にかけないなら、効力を持たない」。ただ、よくよく考えさせられるのは、写しをあちこちに作って回った、その労力である。めずらしい狂気ではないか。信用を得るためにかけられたはずの労力より多くを、信用を失うためにかけるとは。わが夫人よ、わたしは答えようとは思わなかった。ほかの人たちが、わたしの知らぬまに答えてくれたけれども。いくつかの文書を見ただけで十分である。そのうちのひとつは学識深いものなので、あなたにお送りする。それを読めば、わたしの書くものであなたに浪費させた時間を、いくらか取り戻していただけるだろう。夫人よ、もしあなたが、わたしがあなたの判断と考えに委ねたこの方針と逆のことをするのをお望みなら、あなたの望みのわずかな動きにも、当然のこととして、わたしの考えは道を譲る。すでに申し上げたとおり、わたしの考えは黙っていることだった。聖ヨハネス・クリュソストモスは「中傷する者は言い伏せ、問う者は教えるべきである」と言うが、聖グレゴリウスも「敵に耐えることは、敵に勝つことに劣らぬ勝利である」と言っているのを見るからである。忍耐は耐えることで勝ち、苦しむことで凱旋する。異邦の民であるローマ人のあいだには、こんな風習があった。将たちの栄光の最高の頂、すなわち諸国を征して凱旋して入城するとき、紫をまとい、月桂冠をいただき、車を引くのは獣ではなく、打ち負かされた王たちの冠をいただいた頭であり、全世界の富の戦利品を従え、勝利の軍団は武勲の記章に飾られ、祖国の父、帝国の柱、ローマの城壁、共和国の守りといった誉れ高い称号と名で民の喝采を聞く。その人間の栄光と幸福の最高の高まりの中で、ひとりの兵士が、自分の思いからのように、また元老院の命により、勝利者に向かって大声で言い続けるのである。「見よ、おまえは死すべき者だ。見よ、おまえにはこれこれの欠点がある」。もっとも恥ずべきものも容赦しない。カエサルの凱旋で起こったとおりで、もっとも卑しい兵士たちがその耳元で叫び立てた。「ローマ人よ、気をつけよ。我らは禿の姦夫を連れてきたぞ」。こうしたのは、これほどの栄誉の中で勝利者がのぼせ上がらないためであり、これらの侮辱の底荷が、あれほどの喝采の帆に釣り合いのおもしを与え、判断という船が歓呼の風の中で危うくならないためである。これを、繰り返すが、自然法の光だけを持つ異邦の民が行っていたのなら、敵を愛せよという戒めを持つカトリック者のわたしたちが、敵に耐えるくらい、何ほどのことをしたことになろう。わたし自身について請け合えるのは、中傷に苦しめられたことは時々あるが、害を受けたことは一度もない、ということである。功徳を積む機会がありながら、労苦だけ受けて功徳を失う者を、わたしはひどく愚かだと思うからだ。それは、死ぬことに心を合わせようとしない人々のようなものである。結局は死ぬのであり、その抵抗は死を免れさせる役には立たず、従容として従うことの功徳を奪い、善い死でありえた死を、悪い死にするだけなのだ。だから、わが夫人よ、こうしたことは害よりも益の方が多いとわたしは思う。人間の弱さにとっては、喝采の方が危険が大きいと思っている。喝采は、自分のものでないものを、自分のものにしてしまいがちだからである。だからよくよく気をつけて、使徒のあの言葉を心に書きつけておかなければならない。「あなたの持っているもので、受けなかったものがあるか。受けたのなら、なぜ受けなかったかのように誇るのか」。この言葉が盾となって、称賛の切っ先を受け止めてくれるように。称賛は槍であり、本来の持ち主である神に帰さないかぎり、わたしたちの命を奪い、わたしたちを神の誉れの盗人にし、神が預けてくださった才能と、貸してくださった賜物、そしてきわめて厳密に清算を求められるものの、横領者にするのである。だから夫人よ、わたしは中傷よりも喝采の方を恐れる。中傷は、素直な忍耐の行いひとつで、もう益に変わっている。喝采の方は、害にならないために、謙遜と自己認識の反省の行いがいくつも要るのだから。だからわたしは、自分について、これを知っていること自体が神の特別の恵みだと認めている。どちらの場合にも、聖アウグスティヌスのあの言葉をもって振る舞うすべを知るためである。「称賛する友を信じてはならない。けなす敵を信じてはならないのと同じように」。もっともわたしは、たいていそれを台なしにするか、欠点と不完全さを混ぜ込んで、それ自体では善いはずのものを損なってしまうような者である。こうして、わずかに印刷されたわたしのものについても、名前だけでなく、印刷への同意さえ、自分の判断によるものではなく、わたしの支配の及ばない他人の自由によるものだった。「アテナにふさわしい手紙」の印刷がそうだったように。ただ『御托身の霊操』と『御悲しみの捧げ』だけは、人々の信心のために、わたしも喜んで印刷させた。ただし名前は出さずに、である。その何部かをお送りするので、よろしければ、その聖なる共同体の、わたしたちの姉妹である修道女たちや、その都のほかの方々に配ってほしい。『御悲しみ』は一部だけである。もう出尽くしてしまって、それ以上見つけられなかった。あれらは、もう何年も前に、ただ姉妹たちの信心のために作ったもので、後に世に広まった。その主題は、わたしのなまぬるさにも無知にも、まるで釣り合わないものだが、わたしたちの偉大な女王の事柄であることだけが助けになった。どういうわけか、至聖なるマリアのこととなると、どれほど凍てついた心も燃え立つのである。尊いわが夫人よ、あなたの徳と知恵に値する作品をお送りしたいのだが、詩人が言ったとおりである。
志は讃うべし
力は及ばずとも、志は讃えられるべきである。神々はこの志で満足してくださるものと、わたしは思い定める。
返しきれぬ恩
この先また、ささやかなものを書くことがあれば、それらはいつも、あなたの御足もとという聖域と、あなたの添削という保証を探しに参るだろう。あなたにお返しできる宝を、わたしはほかに持たないのだから。セネカの考えでは、恩恵を施し始めた者は、それを続ける義務を負ったのである。だからあなたには、あなた自身の気前よさが返礼をするだろう。そのようにしてしか、わたしは負い目からふさわしく解き放たれることができない。同じセネカのあの言葉、「恩恵に負かされるのは恥である」が、わたしに落ちてこないように。気前のよい貸し手が、貧しい借り手に、負債を返せるだけのものを与えてやるのは、心意気というものである。神が、返すすべのなかった世界に対してなさったのがそれで、御子ご自身を与えて、ふさわしい償いとして御自分に捧げさせたのである。
文体の詫び
尊いわが夫人よ、この手紙の文体が、あなたへの当然の礼にかなっていなかったなら、その家族のような馴れ馴れしさ、威儀の足りなさを許してほしい。あなたをヴェールをいただくひとりの修道女、わたしの姉妹として遇するうちに、あなたの高貴な人格との隔たりを忘れてしまったのである。ヴェールなしのあなたの姿を見ていたら、こうはならなかっただろう。しかしあなたは、その思慮と寛大さで、言葉を補い、改めてくださるだろう。わたしが使った「あなた」という呼び方がそぐわないと思われるなら、それは、あなたに払うべき崇敬には「御尊師」では崇敬が足りなすぎると思われたからなのだが、あなたの値するものにふさわしいと思われる呼び方に替えてほしい。わたしには、あなたの文体の限度を越える勇気も、あなたの慎み深さの枠を破る勇気もなかったのだから。
結びと日付
そして、わたしをあなたの恵みのうちにとどめてほしい。神の恵みを取り次いでいただくためである。主があなたに多くの栄えを与え、あなたを守ってくださるように。わたしはそう願い求めているし、それがわたしには必要なのだ。メキシコ、聖ヒエロニムス修道会のこの修道院にて、1691年3月1日。あなたの、もっとも恵みを受けた者より
署名
フアナ・イネス・デ・ラ・クルス
